太平洋戦争(大東亜戦争)の発端と流れ

そもそもなぜ大日本帝国(以後、日本)は、戦っても負ける戦を行わないといけなかったのか。意地や明治以来の戦勝国だったことからマスコミが煽り国民に敗戦の危険を伝えてなかったこと。このことが一番だがもっっと突き詰めれば、政治的な裏側が見えてくる。

当時の不況から日本は日中戦争のさなかではあったが、短期的に勝敗がつくと思っていたが中国が他国の支援もあり長期化の中で、数々の事件が日本の陰謀であったことが露呈して、中国(満州含む)から完全撤退を国際的に求められて孤立、アメリカからは満州(日中戦争以前)の権益を折半を求められたが反発して、経済措置発令された。

軍令部が日中戦争は首都を落とせば終わると思い込み総力戦を考えていなかった事にも問題があり、大汚点である日独伊3国同盟を結んだのが、英国がアメリカに助けを求めていることも解らず、巻き込まれる形でアメリカと交渉を行うことになっていた。

 

 

日本は引けるところまで引く予定であったとのことですが、日本がアメリカと戦争しないと英国を助けるための兵員を英国に派遣できないという状態であり、しかも日本から戦争を起こさないとルーズベルト大統領の選挙の公約違反となり、国内で立場をなくすことになりかねません。

アメリカの国策であるニューディール計画も順調とはいかなく、ルーズベルトは強硬な手段を取り、クズ鉄・石油の禁輸(当時はアメリカからの輸入に頼ってた)と日本の在米資産を凍結し、ハルノートを突き付けてきて、日本に対して明治初期の貧乏に戻るか、戦うかの選択を迫るような内容を突き付けてきた。(ハルノートの内容は当時多く居た親日家の軍人や政治家も戦後に知って驚いたとのことです)

ハルノートがかなり強硬になった一因には中国からの圧力もあったと言われています。自分たちの国力では日本と交戦を続けられないのでアメリカにはぜひ参戦を求められたのです。

戦争における犯罪は当時の状況下ではどの国も行っていたのだが、それらのスケープゴートに行われた敗戦時の裁判については今後語るとしよう。

今回のまとめとすれば、1つの国に頼らず多くの国と貿易をして、日本にある資源を保護する政策を政治家が行い情報を他国より多く仕入れて最新の技術を使い外交の時点で、潮時を見誤らずに交渉を行うことで防げた戦争ではないかと思わずにいられない。

掲示板などで太平洋戦争(大東亜戦争)<特攻>を馬鹿にする発言が見受けられるが、愛する者を守るためにと言われて戦地に行かねばならなかった人間を侮辱する発言は賛同できない。当時のアメリカ海兵隊も特攻に近い状態で戦っていたことは歴史が物語ってるだろう。兵器の差は歴然であったが、それはアメリカの軍部の研究が日本より勝っていたということだ。

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