金正男氏の暗殺 地元警察、間違って韓国側に通報していた 結果的に身元が明らかに 旅券の名前は……

 マレーシアの空港で襲われ、死亡した金正男(キム・ジョンナム)氏。当初、遺体が正男氏だと気づく人はいなかった。残されたパスポートの名前は「キム・ジョンナム」でなく、別名の「キム・チョル」となっていた。では、どうやって遺体が正男氏だと判明したのか。きっかけは、マレーシア警察がたまたま起こした、捜査上のミスだった。今も裁判が続く世界を揺るがした暗殺事件。新たにわかった証言などから「その時」を追った。(朝日新聞国際報道部記者・乗京真知)

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「平壌生まれの46歳」

 2017年2月13日、空港で襲われた正男氏は、病院に運ばれる途中で息絶えた。

遺体を確認した医師は、警察あての文書に、こう書き残している。「遺体 キム・チョル」「年齢 46」「性別 男性」。遺留品のパスポートからの引用情報だ。

このパスポートは偽造を防ぐホログラム付きで、番号は「836410070」。北朝鮮(Democratic People’s Republic of Korea)の外交官用で、「氏名 キム・チョル」「誕生日 1970年6月10日」「出生地 平壌」などとなっていた。

有効期限は2016年11月9日から5年間。事件の3カ月前に更新したばかりのものだった。

茶髪の時代も

 捜査関係者によると、正男氏は殺害された時、このパスポートのほかに期限切れのパスポートを3つ、持っていた。

最も古いパスポートの有効期限は、2003年から5年間。豊かな髪を茶色く染めた写真が付いている。やはり氏名は「キム・チョル」で、パスポート番号や誕生日など大半は手書き。発行官庁の青いハンコがにじみ、時代を感じさせる。

次に古いのは、ネクタイを締めた七三分けの写真付きパスポート。電子化が進んだようで、手書きの項目はサイン欄だけだ。その後、水色の縦縞シャツ姿の写真付きパスポートを経て、ホログラム付きの最新版に更新された。

正男氏は、友人とやりとりするSNSでも「キム・チョル」を使用。由来については語らなかったという。

明暗分けた「誤訳」

 マレーシア国内で外国人が死亡した場合、警察は速やかに当該国の大使館に一報を入れることになっている。

この事件も例外ではなかった。マレーシア警察によると、事件現場にいた警察官は、まずパスポートで国籍を確認した。国籍欄の「Democratic People’s Republic of Korea」は北朝鮮を指すが、警察官は末尾の「Korea」から韓国籍だと早合点した。「韓国籍のキム・チョルが死亡」との誤った情報が、韓国大使館に伝えられた。

これに対して韓国大使館は、すぐにマレーシア警察のミスを指摘した。遺体は韓国籍ではなく北朝鮮籍で、それも一般の旅行者ではなく指導者一家の大物だと警告した。韓国大使館は「キム・チョル」が正男氏の別称だと知っていたようだと、マレーシア警察幹部は振り返る。

指摘を受けたマレーシア警察は、捜査のレベルを格上げする。警察本部の捜査班のほか、私服で動く特捜機関も動員。北朝鮮大使館に遺体の引き渡しを求められても、「捜査中だ」と突っぱねる姿勢に転じた。

仮にマレーシア警察のミスがなかったら、事件はどんな経過をたどっていたか。マレーシア警察は遺体を正男氏だと気づかずに、手続きに沿って北朝鮮大使館に引き渡していた可能性がある。その場合、正男氏は正体不明の「キム・チョル」のまま、歴史の闇に葬られていたかもしれない。

【金正男氏とパスポート】正男氏は2001年、ドミニカ共和国の偽造パスポートを使ったとして日本で拘束され、強制退去処分を受けた。失態を演じた正男氏は、北朝鮮の指導者の後継レースから脱落していった。失態を繰り返さぬよう、正男氏が所持するようになったのが、今回取材で入手した2003年発行の「キム・チョル」名のパスポートだった可能性がある。生前は偽造パスポートに運命を揺さぶられ、死後は偽名パスポートが事件発覚のきっかけとなった。パスポートをめぐる逸話は、素性を隠して暮らす者の生きづらさを物語っている。

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